ほんとはずっと寝ていたい。

書けることがあるときだけ書くかもしれない。

父と母への手紙。

記憶と気持ちの棚卸しをして初めて気づいたことがあります。

「最近どうよ?見てると頑張りすぎてるように思えてちょっと心配なんだけど、無理していないか?苦しいならいつでもやめていいんだから」

ということを父に言ってもらいたかった。

「どうしてもイヤなことがあれば、全部に対応するのは難しいけど、できうる限りのことを考えていこう。手伝うから」

ということを母に言ってもらいたかった。

この人達は味方で、いつも私の様子を見ていて、そして把握していて、家は私の安全地帯だという実感がほしかった。あなた方は私を大切に考えているのだと感じたかった。

全くなかったとは申しませんが、それ以上に失望を感じる出来事の方が多く、家や家族に良い思い出がありません。

欲しかった言葉やしてもらいたかったことを、得られないことが辛くて、もらえない自分が惨めで、あなた方が間違いを犯すはずはないのだから、きっと私が悪いのだと考えて我慢し、飲み込み、フタをして見ないようにしていたようです。

もらえなかったものを他人である人達に無意識に求めてしまっていたのが理由で、少なからぬ人達とトラブルを起こすようなこともやってしまっていたようです。

でも、もし今もらえるとなっても、もう要らないです。
気持ち悪いだけですし、今の私がほしいのではなく、「幼かったあの頃の私」がほしかったものですから。

幼かったあの頃の私は、私なりにあなた方のことを大切に思っていました。
言いたいこともほしいものも飲み込み、少しでも良い子になることで、あなた方が幸せに過ごせるように、子供なりに全力で取り組んでいました。

でも、今の私にはもうその気力も体力もありません。
今も変わらずあなた方のことを私なりに大切に思っているけれど、あなた方の側にいて、あなた方の要求することを飲み込むことは、とてもじゃないけど難しいのです。

私ももういい年になりました。
もらえなかったものや手に入れられなかったものに対しての恨みがましい思いを完全に手放せたわけではありませんが、自分の始末は自分でつけることのできる見識は得ることが出来たはずだと考えています。

今の私にできることは、今の距離を維持してそれぞれの生活のペースを守ることだと考えています。
これが一番の親孝行だと確信しています。

あなた方の姿の見えないところから、声の届かないところから、温度を感じないところから、あなた方の静かな幸せを祈っています。